評価との付き合い方
この現代社会で生きていく限り,評価というものから逃れることは困難なのでしょうか。
学校でも職場でも,たびたび評価をされる場面に遭遇しながら,生きてきました。
そして今年になってから,新たな評価の世界に私は飛び込んでいます。
…なんていうと大袈裟すぎるのかもしれませんが,評価との付き合い方が難しいなと,最近感じることが増えています。
動画配信サービスを始めてから映画を観る機会が格段に増えまして,せっかくなのだから鑑賞記録をつけようと思い立ち,Filmarksというアプリを利用するようになりました。
Filmarksは映画の情報やレビュー,評価を確認できるアプリで,Webサイトでも見ることができるので,一度くらいは目にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
会員になると,作品の点数(評価)をつけたり,感想を書いたりできるようになります。
これまで,インターネット上で感想や口コミを見ることは数多くありましたが,自分が感想を投稿するということはしたことがありませんでしたし,点数を付けるという行為にも抵抗がありました。
大勢の関係者が時間や労力をかけて作り上げた作品に対して,一観客である自分が気軽に評価をして良いものなのだろうかと思っていたからです。
また,制作サイドやファンの方がその評価を目にした場合に,それについてどのように受け止めるのかが分からないという怖さもありました。
そんなことをごちゃごちゃと考えていると,足踏みをして進めなくなってしまったので,せめて感想を書く際には,自分の中である程度のルールを作ろうと思いました。
例えば,制作者へのリスペクトを忘れないこと,見た人が不快にならないような言葉を選ぶこと,などです。
自分が感じたことをストレートに表現したら,それはそれでスッキリはするのかもしれません。
また,作品が厳しく評価されることで,この先,より良いものが生み出されるきっかけになるという前向きな見方もあるでしょう。
でも,それによって傷つく人もいるかもしれない。
評価の仕方というのは難しいな…とつくづく思います。
そしてこれは投稿を始めてから知ったことだったのですが,自分が評価した内容に対して,他のアプリ利用者が「いいね」で評価する機能もあるのです。
要は私も評価される側にあったということでした。
しかも「いいね」をしてもらえるとどこか嬉しくなる自分がいるのも事実でして,「いいね」をしてもらいたくて始めた訳ではないのに,何だかおかしな状態になっています。
評価するのもされるのも簡単ではなくて,今もどのような距離感でやっていくのか模索中な面がありますが,疲れすぎないようにだけはしていきたいと思っています。
M.M.