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戦いの遠い国での経験を
語り続ける祖父の横顔
高校の国語の短歌の授業の宿題で提出して,めずらしく褒められた句です。
この時期になるとよく思い出すのが,この短歌のこと,高校まで一緒に暮らしていた祖父の描いた絵のことです。
私が大学2回生の時に他界しました。
祖父は,私が暮らしていたいなかのまちではわりと有名な厳しい人で,幼い頃,よく叱られていました。
なんという強情な子だ,蔵に入って反省しなさい,と。今の時代ならコンプライアンス違反です。
そのようなことなのですが,意外と気があっていたのか,子どもの頃,一緒にいることも多かったように思います。朝,幼稚園にいきたくないと泣き散らしていた時など,理由をきちんといいなさいと言われまして,お遊戯のきらきら星のきらきらという振り付けの部分がどうも幼稚なかんじがするので踊りたくないからという理由を述べましたら,許され,祖父の仕事の会議につれていってもらうこともありました。そして,会議室の机の下で遊んで喜んでいました。
同じく幼稚園の頃,リビングで祖父の横に座り,動物の塗り絵をしていた時のことです。少しよそみをしているうちに,目の前の塗り絵が既に仕上がっていました。イラストの輪郭の外側の余白の部分にも陰影がついており,今思うとまるで油絵か何かのようでした。かなり気合の入った仕上がりに,子どもながらに,ぎょっとしたのを覚えています。色は一色ではない,こうやって塗るものだ,と教えられました。子どもとしては,例えば,きりんなどは黄色一色で塗ってやろうというスタンスでしたので,黒色やら茶色やら,所々,緑色や赤色のようなものも混ざっていたのを不思議に思っていました。
そんな祖父が,戦争にいっていた時のはなしを,遊びの合間に,ごく稀に教えてくれました。今となっては,断片的にしか覚えていませんが。その時に,戦地の南の島で描いたというスケッチブックを見せてくれました。その中の一枚の色付きの絵。いつもの祖父の塗り絵の力強い塗り方とは異なり,とても薄い淡い色がついていました。
時が経過したことで,全体が薄くなっていたのかは分かりません。椰子の木のような南国にあるような一本の木の下で,真っすぐ前を向いて座っているひとりのひと。それを,少し離れた横側からみているような構図です。
その人は麦わら帽子を被っています。
それを見せてもらったのは,その一回だけでした。そして,スケッチブックの中の絵は,何枚かありましたが,他のページの絵は全く覚えていません。
祖父が他界した時,その絵のことを急に思い出し,祖母や父親に尋ねますが,そんな絵は,そして,そのようなスケッチブックは,みたことがない,と。その後,かなり祖父の書斎のなかを探しました。結局見つかりませんでした。
亡くなってもう20年は経ちます。あの絵はどこにいったのだろうか,本当に私は見たのだろうか,でも,もう一度見てみたいな,と考えます。夏になると,冒頭の短歌とともに思い出します。
私の記憶の中では,今でもそのやさしい淡い色の絵は,はっきりと見えてはいますが。
K.M.